伊藤ルイさんが逝ってから,はや10年が経ちました

 朝一番でツレアイは福岡へ.西福岡教会で開かれた,有志による「伊藤ルイさんを偲ぶ会」への出席.もう10年になるのですね.ルイさんは,私達夫婦にとっては仲人のような存在でした.初めての出会いは30年前になりますが,息子達が小さいときは,毎年夏休みに九州へ.博多でルイさんに挨拶してから,ツレアイの両親の待つ筑豊へ行くことが恒例となっていました.今日の会合には,息子達がまだ保育所時代にルイさん宅で撮影した古い写真を持参したようです.

 ルイさんについては,松下竜一さんの『ルイズ−父に貰いし名は』(講談社,1982年3月)が詳しいですが,彼女自身の著作は,『海の歌う日』(講談社,1985年10月)『虹を翔ける』(八月書館,1991年2月)『必然の出会い』(記録社/影書房,1991年9月)が残されています.後の2冊が書かれた頃には全国を歩いて回られていましたが,数年続けて8月に本願寺の講座の講師として京都に来られたときには,当時の上鳥羽の拙宅へよく泊まっていただきました.すでに私は松阪へ単身赴任していましたが,ちょうど夏休みとあって,ツレアイが仕事から帰るのを待ちながら,家族と「ルイおばちゃん」の食事を作っていたことを思い出します.ちなみに,ルイさんは,私の母と同い年です.

伊藤ルイさんが逝ってから,はや10年が経ちました」への1件のフィードバック

  1. 名無しの探偵

    「ルイーズ、父に貰いし名は」を読んでいたころ(25年前か?)、伊藤ルイさんの
    講演を聴く機会に恵まれました。御茶ノ水の大きな会場だったと思います。講演者の
    中に顔見知りのダグラス・ラミスさんが天皇制について語っていたので憲法の講演会だったと思います。
    ルイさんは最初演台で話していましたが、「ここで話すよりも」と言いながら、演台から降りてきて、私の座っている席の近くの階段に座り込んで「ここから話すほうが
    いいわ」と言って講演を続けました。
    残念ながら、ルイさんの話は忘れてしまいましたが、この人こそ本当のヒューマニストであると思いました。ルイさんに強く惹かれたことを今でも鮮明に覚えています。

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