長い一日

長い一日 2004-04-26 11:13:28
 4月25日(日)。昨晩の祭の無事を祈る「祈願祭」に引き続き、今日は松尾祭のメイン行事である「神幸祭」(おいで)。松尾大社に祀られる六社の神様が、それぞれの氏子地域へおいでになる日です。松尾から桂川を船で渡って各町内を通り、神輿は西七条御旅所(七条御前下ル西側)まで巡幸します。神様はそこで21日間滞在され、5月16日に還られます。今日の私の役目は「裃供奉」。今日一日は「櫟谷会」という氏子組織の代表者とともに、神事に参加して行列の先頭を歩く役目です。

 まずは、朝8時15分から着物を着て袴をはいて準備。この「着付け」が問題でして、袴や裃などは、ふつうの人にはまず縁がない。この役目を固辞される方が多いのも頷けます。何しろ、我が家へは二日前に町内の副会長さんが、「着付けの本」を届けてくださるほどに、周囲もご心配の様子。その「着付けの本」を奥熊野宿へ滞在中の私にツレアイから届いたメールでは「気付け」となっており、具合でも悪くなったのかと、あわてて電話したのはご愛敬。で、着付けです。先週櫟谷会から届けられた衣装には帯の「一文字」の結び方や、袴の着方などの説明プリントがあるのですが、いまいち説明もイラストもわかりにくい。先週見つけた「着物大全」などのウェブも参照しながら、ツレアイが悪戦苦闘。何とか格好をつけ、扇子と傘を持って近くの天満宮へ9時に集合。ここからは、もう一人の供奉役の方と櫟谷会会長・青年会会長との四人でタクシーで松尾大社へ。車内の話題はもっぱらお天気。昨年は雨でさんざんだったとの話、申し訳ありませんが参加していない私には相づちをうつしかできません。
 やっと到着した松尾大社、すでに境内では各神輿が準備中。出発の早い神輿はすでにかけ声をかけて担ぎ上げ、状態をチェックしています。わが櫟谷社の神輿は飾り付けの真っ最中。それを見物している私に見物人がちがしきりに質問攻め。そりゃそうでしょう、みなさん半被を着て走り回っている横で、裃つけたおっさんが偉そうに見ているのだから、当然祭には詳しいと思われるのでしょうな。しかし、私は初参加かつ予備知識ほとんどなし。それでも、勝手な返事(ということでもないのですが)をしながら時間をつぶす。10時になって祭典開始。本殿の中に居並んで、神事に参列。各社ごとの玉串奉奠もいっしょに。その間、境内では北島三郎の「祭」が大きなボリュームで流れるは、各神輿が順番に動き出すはで、騒然とした雰囲気。しかし、本殿の内側ではたんたんと神事が遂行されていきます。しかし、足が痛い!
 この神事が終わった後で、何をしていいのかわからない寺口クン。またぞろ櫟谷会の神輿を眺めていると、いつのまにやら他の供奉役の姿が見えません。青年会のスタッフに聞いてもわからず、あちこち問い合わせをして頂いた結果、行列の先頭につくのが役目だとかで、神社の外の最前列に追いつく。世話人らしき人に尋ねると、「あぁ、櫟谷さんはもっと後ですよ」。つまり、祭本来の形からすれば、裃供奉役は祭の最前列に並ぶのですが、実際には自分の町内の神輿に付く人が多く、実際その場に居合わせたのは6人程度。ま、「本来」といわれれば原則主義者としては本来の立場を貫徹しましょう。
 で、何やかんやとなかなか始まらない。裃に時計はおかしいと、妙なこだわりを持ってしまったので正確な時間がわからない。実は、袂には携帯電話を入れてはいたのですが、この格好でinfobarを取り出すことは、私の美意識が許さない。ということで、大分待たされた頃にようやく出発。ルートとしては、松尾大社から南へ、桂離宮近くの川原まで行列を行い、そこから船で神輿渡御。よくみれば、神輿(と担ぎ手)を運ぶ船というのは、保津峡下りで利用されているもの。全部で3艘あるのですが、1艘は手こぎの船でこれに神輿が乗ります。後2艘は船外機つきで、これで担ぎ手を運びます。土手の上で待機していた神輿が、合図とともに川原へ降りて一気に川の中へ。そこへ船をこぎ入れて、神輿の下をくぐって乗せるというやり方。勇壮さと悠長さがないまぜになった、いかにも京都らしい祭ですな。行列の先頭についてきて、ここで最初の神輿の渡御を見届けてから、わが櫟谷社の神輿の方へ。しかし、6社のうち後ろから2番目ということで、なかなか来ません。やっと神輿が到着し、順番待ちを経て川を渡る、私も渡る、対岸に着くとすぐ近くの川原の斎場へ運んで神輿を安置。やっとここでお昼ご飯。用意の弁当を川原のシートの上で広げて、皆さん酒やビールで盛り上がる、ま、祭ですから。
 私はというと、ここでも何をしていいのかいまいちわからないので、並んで弁当を頂き、缶ビールもいただき、近所の山本さんご家族団らの隅っこをお借りしてお弁当をいただく。その横を6番目の神輿(大宮社)が到着。あたり一面砂埃、弁当の上も砂だらけ。ま、しかたないかと食べ続けていると、いつの間にか6基の神輿の横では結界が張られ、何やら神事らしきものが。最初は缶ビールを飲みながら見物していた寺口クン、どうやら事態が飲み込めました、「ここは出番や!」。しかしなぁ、もうリラックスしてビール飲んでしまっています。「ま、ええんちゃう?」と、勝手に納得して食事を続行。
 やがて頃合いになって、きた順番で神輿が動き出します。ここからは各町内を通りますから、随所で神輿の「からみ」を見せながら、八条通から西京極、葛野大路から七条通りへ。動いては止まり、動いては止まり。こんなことなら、若い時分の河原町デモの方がよっぽど楽。ようやく西大路七条あたりへついた頃にツレアイと次男を発見。すぐさま歩道で密談(風呂とビールと熱燗の用意頼むで!)。
 さて、西大路七条をすぎて御前通りの方へ進む頃には、あたりは櫟谷社の地元。見物人も一杯、何より嬉しかったのはいつも買う「喜楽亭」のコロッケが差し入れされて、空腹と寒さで震えるメンバーには何よりのごちそう。やがて、七条御前でからんだ後、神輿は西七条御旅所へ。ここでご神体を抜き、すぐに神輿は蔵の中へ。最後の大宮社が同じように入ってから、最後に「着後祭」。この祭典に出席して、晴れてお役ご免。すでにあたりは真っ暗。我が家に戻ったのは午後8時頃(?)。真っ先に風呂に入り、ビールで乾杯して、テレビで阪神の逆転劇を見て、熱燗を頂く頃にはほろ酔いと眠気。日記を書く元気もなく、一気に熟睡モードへ。いやぁ、長い一日でした。

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