沙門空海唐の国にて鬼と宴す

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻之四 夢枕獏の大作が完結しました。著者の後書きによれば、「一行目が書き出されたのが、1987年12月」とか。『月刊SFアドベンチャー』『季刊SFアドベンチャー』『問題小説』『小説工房』『問題小説』と、発表の舞台を転々とした作品の単行本の最終巻(巻ノ四)の一刷の日付は2004年9月30日。17年近い時間が経過していることになります。

 ちなみに、同じ著者の『陰陽師』が書き出されたのはこれよりさらに一年前。しかし、すごいパワーです。ここしばらくは、この本を読むために、通勤電車をあえて『普通』にして空いた車内で読みふけっておりました。道理で目が疲れるわけだ。

●2004-10-11 07:14:47 寺口@自宅
 凄いニュースです。遣唐使で中国に留学し、そこで亡くなった留学生の墓誌が発見されたと。朝日では次のように伝えています。

中国・西安で遣唐使の墓誌発見 皇帝に仕えた日本人判明 唐の都・長安のあった中国・西安で、8世紀前半に阿倍仲麻呂らとともに遣唐使として渡りながら、現地で亡くなった日本人留学生の墓誌(死者の簡単な伝記)が見つかった。その人生や、死を惜しんだ玄宗皇帝が高官の役職を贈ったことなどが記されていた。この時代の日本人の墓誌が中国で発見されたのは初めて。古代東アジアの交流や、遣唐使の実態を伝える前例のない発見といえる。西安で10日開かれた記者会見で発表されたと、中国国営新華社通信が伝えた。 西安の西北大学博物館が最近入手したもので、39.5センチ四方の石に、名前は「井真成」で「国号日本」など12行で171文字が刻まれていた。生まれつき優秀、国命で派遣され勉学に励み、宮廷で役職についたが、急病で開元22(734)年に36歳で死去、魂は故郷に帰るだろう、といったことが記されている。 現存の実物資料としては国号「日本」が使用された最古の例となる。 共同通信によると、西安市内の工事現場で見つかり個人が収蔵していたものを西北大の博物館員が収集した。 当時の遣唐使は十数年に一度の不定期。年齢から、717年の遣唐使に19歳で留学生として参加したとみられる。奈良に都を移してから初の遣唐使にあたる。仲麻呂や吉備真備、僧玄●(●は日へんに方)(げんぼう)らに乗組員を加えた、総勢557人の回だ。 遣唐使の参加者は、唐で活躍した仲麻呂のほかは、日本で五位以上の官位を持つ参加者しか記録されていないため、この人物に該当する記述はなく、日本名などは分からない。 死後に皇帝から贈られたのは、その近くに仕える「尚衣奉御」(尚衣局の責任者)という、従五品上の役職。中国の官位は一〜九品に分かれ、五品以上が皇帝の前に出る

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